【巨星墜つ】長嶋茂雄さん死去…野球界の宝

【巨星墜つ】長嶋茂雄さん死去…野球界の宝
配信元:まいどナショー
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長嶋茂雄・巨人軍終身名誉監督が死去、89歳…巨人の黄金時代築いた「ミスタープロ野球」 – 読売新聞オンライン (出典:読売新聞オンライン) |

(出典 upload.wikimedia.org)
2025年6月3日――日本のプロ野球界に衝撃が走りました。
読売巨人軍の終身名誉監督、「ミスタープロ野球」こと長嶋茂雄さんが、肺炎のため89歳でこの世を去らはったんですわ。
千葉県印旛郡臼井町(現・佐倉市)生まれの長嶋さんは、1958年に立教大学から巨人軍へ入団。
入団初年度から4番打者として活躍し、打率.305、29本塁打、92打点で新人王、本塁打王、打点王の三冠を獲得。
この年の「天覧試合」では、村山実投手から放ったサヨナラ本塁打で日本中を熱狂させました。
現役時代は、王貞治さんとの「ON砲」でV9時代を築き、プロ通算444本塁打、1522打点、首位打者6回、MVP5回、ベストナイン17回など、まさに記録と記憶の両方に残るスター。
引退試合での「巨人は永久に不滅です」という名言は、今も語り継がれる伝説の一言。
背番号「3」は巨人軍の永久欠番となりました。
■“魅せる野球”の体現者
長嶋さんのプレーは、常に「観客を楽しませる」ことが信条。
ヘルメットが飛ぶほどの全力スイング、三塁手としてのダイナミックな守備、時にはわざとトンネルして観客を沸かせるなど、エンターテイナーとしても唯一無二。
「僕は巨人軍の4番打者だよ。サインなんて、打てという以外にあるわけないじゃない」という名言も、プロとしての誇りと自信の象徴やったんです。
■監督としての功績
1975年から2期15年にわたり巨人軍の監督を務め、リーグ優勝5回、日本一2回を達成。
1994年、2000年には日本一に導き、監督通算成績は1034勝889敗59分。
2001年に監督を勇退し、終身名誉監督に就任。
2004年にはアテネ五輪日本代表監督も務めましたが、同年脳梗塞で倒れ、右半身に麻痺が残るも、壮絶なリハビリを経て表舞台に復帰。
■晩年の活動と栄誉
長嶋さんは、2013年に松井秀喜さんとともに国民栄誉賞を受賞。
2021年には野球界初の文化勲章を受章し、東京オリンピック開会式では聖火ランナーとして登場。
晩年も野球への情熱は衰えず、東京ドームでの巨人戦観戦や、大谷翔平選手との2ショットなど、最後まで野球とともに歩み続けました。
■長嶋茂雄さんの人間力
長嶋さんは、勝負強さだけやなく、どんな困難にも前向きに立ち向かう姿勢で多くの人に勇気を与えました。
脳梗塞後も「リハビリは野球人生の延長戦」と語り、笑顔を絶やさず復帰を果たした姿は、多くの人の心に残っています。
また、指導者としても多くの後進を育て、松井秀喜さんをはじめ、数々の名選手が「長嶋イズム」を受け継いでいます。
■葬儀・告別式について
葬儀・告別式は近親者のみで執り行われる予定で、後日お別れの会が開かれる見通し。
巨人軍オーナーや関係者からは「長嶋さんの志は、これからも後輩たちがしっかり受け継いでいく」とのコメントが発表されています。
1 :2025/06/03(火) 08:57:23.46 ID:hwZLLIgU9
【速報】長嶋茂雄さんが死去(89) プロ野球巨人軍終身名誉監督
元プロ野球選手で「ミスタープロ野球」の愛称で親しまれた読売巨人軍の終身名誉監督・長嶋茂雄さんが亡くなったことが分かりました。89歳でした。
読売新聞グループ本社によりますと、長嶋さんは3日午前6時39分、都内の病院で亡くなりました。肺炎でした。
千葉県出身の長嶋さんは巨人軍に入団後、勝負強い打撃を武器に王貞治さんらとともに主力選手として巨人の「V9」に貢献しました。
5回のMVP獲得やプロ通算444本のホームランを記録するなど、昭和のプロ野球を席巻しました。
1974年に現役引退後は巨人軍の監督に就任してリーグ優勝を5回、日本一を2回達成しました。
監督を退いた後も終身名誉監督として生涯、日本野球界に貢献しました。
2004年に68歳で脳梗塞(こうそく)を発症しますが、リハビリを重ね、日本野球界の発展に尽力してきました。
「ミスター【またはミスタープロ野球】」の愛称で広く国民に親しまれ、2013年には「国民的スターとして国民に深い感動と社会に明るい夢と希望を与えた」として愛弟子の松井秀喜さんとともに国民栄誉賞も受賞しました。









































