【回帰】インド発 神秘の教え上座部仏教!!!!!

【回帰】インド発 神秘の教え上座部仏教!!!!!
配信元:アジア〇みえ情報
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パーリ語の三蔵(夏目雅子ではありません)を伝えていることからパーリ仏教ともいう。
一言で仏教といっても色んな宗派に分かれ、世界には仏教以外にも色んな宗教で溢れています。
人を救うはずの宗教で信仰する神の違いや宗派の違いで争いが起きるのは本当に悲しい事ですね。
1 名無しさん@京都板じゃないよ :2011/02/01(火) 14:10:31 .net
○上座部仏教国では、精霊信仰・国王崇拝をするから、
神道や、天皇陛下中心の日本国古来の土着信仰と両立可能。
○女妻帯は、強制還俗。 出家は227の戒律を守る。
○上座部仏教には、僧侶による祈祷・祈念もある。
お札、お守りもある。
○仏・神の数が少ないから、祈る時に迷わなくて済む。
○戒名や先祖供養で大金を得られなくなるから、
僧侶は毎朝托鉢をし、法を説き、
衆生を救うことで在家の自発的な布施で暮らすことになる。
○上座部仏教でも布施は行うから、僧団に布施しない*は駆逐。
○大日如来や阿弥陀如来は、あれは創作で嘘だった。
お釈迦様以上は存在しない。
これで、この板のアンチ日本禿も文句は無いだろう
さあ、けちゃっぷよ!上座部仏教に改宗せよ!
君は知識としては(実在の)お釈迦様の教えは解っていると思うが
全然身についてないようだw
知識としては(実在の)お釈迦様の教えだけではなく、
現在の原始仏教国、東南アジアの現実を見て1のテンプレになったんだけど。
あと日本は仏教国じゃないからね、日本国ぬ祝日で仏教行事で祝日になる日は無い。
ところが原始仏教国であるタイをはじめとする東南アジア諸国は仏教行事で国民の祝日になる。
大きな差があるんだよ。
ただ強制じゃない上にシッダータが来たって噂が広がるだけで人が集まるレベルだったが
少なくとも日本の仏教もどきよりは、上座部仏教のほうが原始仏教に極めて近い
創始した純粋仏教の戒律をよく守ってるね
ビルマもタイもラオスもカンボジアも同じだったよ
その名の通り形式的な上座部仏教ですね
なかなか売れてるみたいだね。
そりゃ、日本の職業坊主よりは信頼がおけそうだしなw
般若心経だってそれぞれの単語には深い意味があるんだが、坊主はその辺を一般人向けに丁寧に教えたりなんてまずやらない
座禅が上座部の瞑想に押し負けてるし、世俗化が薄れると共に日本独特の所有を是とする仏教も薄れてくのかな
>スリランカがゴータマ・シッダッタが
>創始した純粋仏教の戒律をよく守ってるね
正気か?
僧侶が国会議員になり、僧服のまま強硬意見を吐く国だぞ?
落ち目の仏教を守るために「改宗禁止法」を作ろうとする動きもあるんだぜ。
気がしないでもない
日本仏教=小乗仏教=自称坊主とその家族の生活だけ守れればそれでいい
どちらも目的地は同じのはず
今の「自称」上座部は、根本分裂のときの上座部とは違うんだがな。
スリランカ大寺派の流れは案外新しいぜ?
しかも今広めてるマハシ式瞑想は、20世紀の創作瞑想だし。
お釈迦様は、仏陀になるための修行法を説いたのであって、
仏を神様のように信仰することを説いたのではありません。
お釈迦様の根本仏教(仏陀になるための修行法)は
阿含経にのみ説かれています。
阿含経にも後で挿入された経典があると批判する人もいますが、
後で挿入されたものを、外して読めばよいだけです。
そもそも、大乗仏教は、信者を仏陀にしようなどとは考えていませんし、
信者を宗教団体に依存させるように創作されているからです。
矛盾していて構わないし、矛盾していて当然です。
法華経を含む大乗仏教は、信者に仏陀になるための修行させずに、
仏を神様のように信仰の対象にして
現世利益を求めるように、ヒンズー教化したものなのです。
某サイトより転載。。。
大乗仏教(法華経)、末法思想、密教は、お釈迦様の仏教ではありません。
大乗仏教、末法思想、密教は、インドで創作されたものです。
創作の現場であるインドでは、それらが周囲から軽んじられたのは当然でしょう。
なぜなら、彼らは、その正体(創作の事実、成仏法を削ったこと、
信者が仏陀になるための修行方法を信者から遠ざけたこと、
ヒンズー教の神々に模して多数の仏(阿弥陀如来、弥勒菩薩・・)を創作したこと、
ヒンズー教の現世利益を導入した事、お釈迦様の本来の仏教を小乗仏教と貶めたこと)を
知っていたからです。
大乗仏教(法華経、無量寿経)、末法思想は、多くの創作者が関わっているので
一貫性がないのは当然です。
しかし、大乗仏教を中国経由で輸入した日本において、
日蓮上人たちの殆んどのお坊さんは、その大乗仏教、末法思想などのすべてを、
お釈迦様の真の仏教であると誤って信じていたので、
それらの一貫性のなさに批判することもなく、無条件で受け入れたのでしょう。
批判はタブーだったのでしょう。
これは、歴史的に日本の仏教が*た誤りです。
普遍性を持っていることは当然のことですが、この場合、
「釈尊の永遠性」は法華経と法華経で創作した「釈尊」観を
(普遍的なものであると)自画自賛しているだけだと思います。
末法思想を創作した人は、大乗仏教がお釈迦様の仏教でないので
大乗仏教では人々を救済できないことを感じて予言したのでしょう。
自分で、上座部でない自分たちの限界を吐露したのでしょう。
大乗仏教が栄えるようでは、このままゆくと世も末だと、
感じていたのでしょうし、
真の仏教(上座部仏教)への回帰の必要性を感じていたのでしょう・・
仏教とは仏陀になることを勧め、仏陀になるための実践的な修行方法を説く
科学的な宗教なのです。それは法則としての縁起の法、執着をなくすための
瞑想法、因縁解脱する為の瞑想法、仏陀になる為の瞑想法、修行の進め方、
心構え、などです。それは、迷信や世俗的な信仰宗教とは異なります。
阿含経によれば七科三十七道品の修行をすれば、本人が仏陀になりたいと
願わなくても仏陀になれるのです。これこそが阿含経の優れた点です。
大乗仏教の経典は、仏を信仰の対象にし、現世利益を祈願させ、
日本ではお題目や念仏を唱えさせるものまでありますが、
仏教とは関係ありません。大乗仏教を仏教と見るのは間違いです。
大乗思想とでもいってください。
大乗仏教をいくら信仰し勉強しても、仏教が目指す仏陀になれません。
仏に現世利益を祈願したりさせるわけがありません。
阿含経典でお釈迦様は、七科三十七道品の修行をしなければ、
お坊さんといえども仏陀になれないと、はっきり説いています。
大乗経典には、それに反することが説かれています。
大乗仏教は内容的に劣っています。
仏教が、「上座部」と「大衆部」に分裂したとき、
上座部は阿含経典を守り、大衆部は依拠すべき経典がなかったので、
新しく経典を勝手に創作し始めました。
法華経、無量寿経、末法思想を含む大乗経典は、阿含経に模して
「如是我聞」ではじまる文章を創作したのです。
それらの経典で、いくらお釈迦様がそう説いたと書かれていても、
それは全て人が創作したフィクションです。
フィクションの中に矛盾点や、一貫性に欠ける点があったとしても、
その矛盾を解消する意味も価値もありません。
フィクションはフィクションとして楽しむだけです。
SFのタイムマシンの話は、よく考えると矛盾だらけですが、
フィクションとして楽しむだけで充分です。
バウッダ仏教(中村・三枝著)
私が、第二法華経と称して、新しい経典を創作し、千年でも経過したら、
古いありがたいお経として、皆さん、信仰してくれるでしょうか?
お釈迦様が説いたのでないかぎり、仏典ではないですよね。
私は、その第二法華経にこう書きます:
如是我聞。世尊は次のように仰った。法華経や無量寿経や末法思想は誤りである。
法華経や無量寿経をいくら信仰しても仏陀になれない。
仏をいくら拝んでも仏陀になれない。
七科三十七道品を修行しなければ仏陀になれない。
現世利益に執着していては(物欲、権力欲、名誉欲、金欲に執着していては)、
因縁解脱はできなし、仏陀になれなれない。来世にも仏陀になれない・・・と。
1 名無しさん@京都板じゃないよ 2007/08/06(月) 13:32:26
約20年間タイの森林系の上座部仏教寺院で出家生活をしている日本人上座部仏教僧が居る。
その名は、スカトー寺の日本人僧侶プラ・ユキ・ナラテボー
彼は227の戒律を保ち、食事は毎朝の托鉢で得る。
そして修行のかたわら悩み苦しむ者を救う。
日本からも数多くの人が彼を訪ねているという。
上座部の教義の話になるとガラガラになったりする
つくづく日本人は戒律が嫌いなんだなあと
中観とかをしっかりおさえれば。
しかし、寺から世襲制度をなくすことが必要だ。
檀家寺であれば寺は檀家のものであり、住職一族のものではない。
住職の息子が坊主になるのは構わないが親の寺を継ぐのは禁止するべきだな。
坊主の結婚は禁止すると犯罪が起きそうだから徐々にそういう
方向に持っていくのがよい。
上座部仏教で仏陀になれたのはお釈迦さまだけ。
どんなに頑張っても阿羅漢という小乗の悟りにしか至れない。
大乗仏教になって初めて「人は仏陀になれる」と説かれた。
大乗仏教では誰もが修行をして無上正等覚(アヌッタラ・サムヤク・サンボーディ)
すなわち仏陀の悟りに至ることができる教えが明らかにされた。
上座部は阿羅漢教、大乗は成仏教。
そんなの初期仏教じゃ言ってない。初期仏教では仏陀=阿羅漢。
仏陀がお釈迦様の専売特許になったのはその後の話(ただしその場合でも仏陀⊂阿羅漢)。
すでに部派仏教の時からお釈迦様の神格化が始まっていた証拠。
神より上のお釈迦様を神格化するのは格下げだけどww
言ってませんね。
ブッダになれる経を説きますか?
説きませんね。
しょせん阿羅漢止まりだからです。
お釈迦様と対等の成仏はできない。上座部はそういう段階の教えです。
たまに奥さん連れて日本に旅行に来てるの見かけるよ。
たとえ奥さんのいる人でもとらわれなく思考行動している人はいるよ。
日本人≪佐々井秀嶺≫
多額の金銭流用がたびたび。
流用をしりながら佐々井師の為にインドへ資金を調達する仲介者は確信犯。志厚く寄進した人々の善意が無駄に。
となったが、工事は途中でとん挫した。
神戸市長田区臨済宗南禅寺派明泉寺住
職冨士玄峰〔荘碩〕〔臨済宗南禅寺派前総務部長〕
の働きかけで昭和61年神戸市仏教連合会が
500万円の寄付を集めて送った。高尾山など真言宗の関東三山からも1-2
千万円の支援が集まっていた。
「失敗の原因は十分な計画性に欠けていたことです。ヒンドゥー組織の妨害も
あり、だまされてしまったんですね。こちらは具合悪いですよ。あの500万
円はどないなったと言われますからね。上人は懺悔はする。でも説明がないん
です。そういうところが一番マイナスですね。」
佐々井の「いい加減さ」には幾度か尻拭いをさせられてきた、冨士玄峰だが、「蹴ら
れても殴られてもついてゆく女みたいなもんですね」と、苦笑いした。惚れ込
んだ男に対する信頼と期待は揺るぎない。「日本では悪名高き男として知られ
ています」は佐々井の口癖。数少ないが強力な支援者を黒沢映画にたとえ、「
私には7人の侍しかおらんのですよ」と言った。佐々井が日本仏教界から評価
されない理由を玄峰はこういう。〔他人事では済まされない。冨士師が仲介者〕
そして今年、平成23年、
佐々井秀嶺氏は
冨士玄峰氏が仲介する、臨済宗からの寄付四百万円を流用したことが発覚した。
ナグプール同友会の明泉寺冨士師は寄付を募り続けています。明泉寺冨士玄峰師の仲介で多くの人が佐々井師に金銭的迷惑を掛けられています。
しかし冨士師は市仏の500万が無くなった時など寄付を集めた方々に対し謝罪の気持ちがあまりなく、
逆に佐々井師の金銭問題を追求されることが、迷惑でもあるかの様なコメントを出しています。
また冨士師の仲介で京都の団体からの400万の寄付が佐々井師に渡されましたが、佐々井師が流用していた事実がありました。
この度も冨士師は謝罪していません。
この様なナグプール同友会はカルト団体に指定された方がいいのでは無いかと考える次第であります。
「上座部」とか言われてもピンとこない。
「聖乗」と書いて
しょうじょうと読ませば良かったものを。
「聖道門」という言葉が浄土門に対して
否定的な法門として使われます。
まさしく南伝上座部は聖道門の一つの極み。