【音楽】スティングと氷室京介の夢の共演!東京ドームの4日間を振り返る
【音楽】スティングと氷室京介の夢の共演!東京ドームの4日間を振り返る
配信元:ゆるゆるプレイス
”東京ドームで夢の4日間”…「スティング」とBOØWYのボーカル「氷室京介」がジョイント・コンサートを実現できたワケ …あなたは「呼び屋」という職業をご存じだろうか。海外のアーティストを招いて公演を実現させることを生業とする彼らは、長年に渡ってその手腕で日本の音楽史を… (出典:) |
氷室
京介(ひむろ きょうすけ、1960年〈昭和35年〉10月7日 – )は、日本の歌手、シンガーソングライター。血液型はO型。群馬県高崎市倉賀野町出身。所属事務所はBeatNix。公式ファンクラブはKING SWING。既婚。2男1女の父。アメリカ合衆国ロサンゼルス在住。 1982年、氷室…
84キロバイト (8,012 語) – 2025年1月26日 (日) 01:21
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1 湛然 ★ :2025/01/25(土) 06:22:12.56 ID:Y7N9Ia049
1/24(金) 7:04 現代ビジネス 宮崎 恭一(音楽プロデューサー・映画プロデューサー)
https://news.yahoo.co.jp/articles/8cd759dc82d0d29ff8e13e08f9aeda447f81a3ac?page=1
あなたは「呼び屋」という職業をご存じだろうか。海外のアーティストを招いて公演を実現させることを生業とする彼らは、長年に渡ってその手腕で日本の音楽史を彩ってきた。
本書の著者は、マドンナやボン・ジョヴィの日本初公演を実現させるなどして、呼び屋として名を揚げた。茨城県の小さな村で生まれた男は、いかにして多数の著名なアーティストを日本に招聘できるほどの大物となったのか。
本連載では、『呼び屋一代 マドンナ・スティングを招聘した男』(宮崎恭一著)より一部抜粋・再編集して、50年にもわたって国内外のアーティストと関わってきた著者の人生の軌跡と、彼が支えてきた日本の音楽シーンの変遷についてお届けする。
■氷室京介はスティングの大ファン
このころ(80年代後半)、西武はチケットセゾンというチケット販売会社をやって儲けていました。なかでも、日本のロックグループ「BOOWY」の東京ドームでの解散コンサートのチケットを手掛け、大儲けしました。なにしろ、チケット申し込みの電話回線がパンクして、東京で3時間電話が通じなくなったというくらいです。練馬、板橋、豊島区では7時間電話が不通になっちゃいました。当時はネット販売なんてありませんでしたから、チケットの購入はプレイガイドか電話で申し込むしかなかったのです。
そのBOOWYのボーカルの氷室京介がスティングの大ファンで、「スティングとジョイント・コンサートが出来たら*でもいい」と言っていたくらい、スティングのことが大好きだったんですよ。
それで僕は、「これならいける」、西武のお偉いさんもOKしてくれると思い、スティングと氷室京介とのジョイント・コンサートを提案しました。そうして東京ドームでの4日間の公演が実現したのです。
■「スティングは上半身裸で妻の肩に手を…」
お偉いさんは、スティングのことは知らなくても、氷室京介が大人気なのはチケットが売れた成功体験で知っていましたから、すんなり許可してくれました。これが西武で僕が手掛けた初のロックコンサートになりました。その後、スティングはツアーで全国を回りました。全部、ソールドアウトになりました。
これは余談ですが、うちの妻がスティングの大ファンになって、全国のコンサート会場を追っかけました。それで妻がスティングと写真を撮りたいと言い出して、彼はOKしてくれました。東京のホテルオークラで、部屋のドアから出て来たところで写真を撮りました。それがスティングは上半身裸になって、妻の肩に手をまわし、かかえている写真。いかにもいま関係してきたといわんばかりの写真で、これは妻の一生の宝物になりました。
もうひとつ余談ですが、後にスティングは宮崎県につくられたリゾート「宮崎シーガイア」のコマーシャルに出ました。「宮崎サイコー」と言うCMでしたが、スティングの発音は「ミヤダキサイコー」にしか聞こえません。それで電通の担当者が、「ザック宮崎は覚えているよな」と聞いた。「ザック宮崎は覚えている」と。「ザック」と先に発音すると「ミヤザキ」と言えるんです。それで「ザック宮崎サイコー」と言わせて、「ザック」を切って編集したそうです。
(※以下略、全文は引用元サイトをご覧ください。)