【仰天】もうすぐ先進国www壮絶インドの近代史!!!

【仰天】もうすぐ先進国www壮絶インドの近代史!!!
配信元:アジア〇みえ情報
インド統一を目指す英雄たちの歴史ロマン「ラージャ」1巻、幸村誠らも激賞コメント – コミックナタリー インド統一を目指す英雄たちの歴史ロマン「ラージャ」1巻、幸村誠らも激賞コメント コミックナタリー (出典:コミックナタリー) |
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その多様性と豊かな文化遺産は、他の地域とは一線を画す魅力を持っています。
緑の革命
白い革命
ピンクの革命
インドから独立してシク教徒の国をつくろうとするカリスタン運動
カナダで運動家が暗殺
アメリカで暗殺計画発覚
ブッダ アクバル大帝 ガンジー
中国の偉人
孔子 始皇帝 毛沢東
インドの勝ち
近年日本最大の円借款相手
大都市は相当えぐいことになってそうだけど、農村でも隣の村まで切れ目なく家がある状態?
1km2の可住面積当たりの人口(2021FAO)
台湾 3997 1400 2400万
日本 3050 可住面積4万 人口1.2億
バングラ 2088 8万 1.7億
オランダ 1745 1万 1750万
インド 911 154万 14億
日本の可住面積 10.4万
茨城県の人口密度 平均470人/km2
しかし海上交易はできる、インドネシアなどとも交易
コーヒー 1830-80年代プランテーションで栽培
1868年の葉枯れ病が80年代に全域に広がり壊滅的被害
ゴムとココナッツと紅茶に作物を変えていくことになる
紅茶 1867年実験的に栽培
コーヒーに比べ相対的に機械化が必要で大規模資本が必要
コーヒーの農園所有者形式から株式会社が主体となる
1899年イギリス資本の企業:現地資本の企業=1:2
コーヒープランテーション建設時の土地収奪のようなものは少なく
すでにあるコーヒープランテーションを買い上げる
現地シンハラ人はコーヒー壊滅で土地を売却した
植民地政府は土地譲渡を抑えようとしたができなかった
英国市場にセイロンティーが登場するのは1873年個人輸入
企業取引で1875年輸入
セイロンティーを世界的なブランドに仕立てたのはリプトン
1851年1ポンド(重量)あたり2シリング(24ペンス)が90年に4ペンスまで下がり一人当たりの消費量は1851年1.9ポンドから1911年6.5ポンドに消費が拡大
1900年でイギリスの消費量の93%がセイロンティーとなる
1880年代に中国・日本からの茶の購入が激減
同じ面積では収穫ではコーヒーより人間が3-4倍必要、製造工程もコーヒーより手間がかかる
コーヒーより分業になり収穫期も分散するので恒常的労働になり季節の出稼ぎから永住労働者と変化する
男の出稼ぎから夫婦の出稼ぎ・永住に代わる
土地面積で半分ほどが小規模経営となる
1948年自治領となり食糧生産にシフト
1972年スリランカ独立
1970年代外国人経営者を排除、政府が接収
経営悪化、生産性低下
1977年輸入代替工業化政策を放棄、経済の自由化
縫製アパレル業
1983年スリランカ内戦ぼっ発
1988年エステート・タミルに国籍を付与開始
1992年プランテーション3公社は23に分割民営化
1995年紅茶輸出1位(23%)しかしケニアは22%
2009年スリランカ内戦終結
2019年イスラム過激派テロ
2020年新型コロナで観光業が壊滅
2021年農業有機農法100%法で、大混乱。秋の収穫時に生産高が激減しプロジェクトは中止
2022年民衆デモで大統領追放
1位44% 繊維・アパレル
2位14% 紅茶
3位8% ゴム・ゴム製品
4位3% 宝石・鉱物
5位3% 食品
イギリスが激減し輸出は
セイロン紅茶のブランドイメージ向上の取り組み
米以外の穀物は60%程度だが米の自給率を確保
紅茶より別の農産物の方が儲かる
エステート・タミル人問題
プランテーション農園では家賃なし
医療スタッフ託児所も自社管理
だが給料が安くどんどん出ていく
ノートパソコンの生産の9割は中国で生産だが
2030年には5割が東南アジアにシフトすると予想
インド「俺っちもよろしく」
牛の戦車、地名がインド風
イスラム教やキリスト教で塗り替えられる前の中東はインド風だったのかも知れない
インドも人口減少に入る
文書さえあれば、混沌の国が一瞬にして西欧的な合理主義の国、
ジェントルマンの国に変化する
例えば、どこかのホテルを予約してもホテル側の手違いで部屋がない
というようなことはインドでは日常茶飯事だが、こんなとき、
客の手元にホテル側の予約確認書があれば、ホテルは必ず責任を取ってくれる
その結果、他の客を別のホテルに回してまで部屋を融通するという
インド的な解決方法がとられる
その中でもステップ仮説
確か氷雪のカフカス山脈を越えるシーンがあった
新しい説では対立するアナトリア仮説との中間のアルメニア辺りが故郷ということに
インダス文明の人たちの遺伝に関する研究
もともとインドに住んでた人らとイランから来た人らの混血らしい
インダス文明の二大謎
・担い手は誰?
・なぜ滅亡したのか?
そのひとつか

(出典 architexturez.net)
ギリシャ語とアルバニア語は他のヨーロッパの印欧語とは明らかに系統が違うから
ステップ仮説とは適合しないんじゃないかな
スラブ・バルト・ロマンス・ゲルマン・ケルトはステップ仮説によく適合してるんだと思う
イラン・インドは、北部ルート説と南部ルート説があって、
北部ルート説のなかでもステップ説と非ステップ説があるみたいね
「現代でいう中欧辺りからバルカン半島を南下してきて地中海に至った」
っていうのが一般的な見方じゃなかったっけ?

(出典 images.squarespace-cdn.com)
それはステップ仮説だと思う
アナトリア仮説(農耕説)と最新の説(ハイブリット仮説)だと
ギリシャ語とアルバニア語はアジアから直接来たとされている
ところで新説で一番故郷に近い場所で話されてることになったアルメニア語って、やっぱりインドヨーロッパ祖語に一番近い要素もあるのかな
祖語の語頭のdwがerkに変化するなどかなり特殊な変化も起こしているそうだけど