【衝撃】数学者、中国古文を元に邪馬台国の場所を特定!!!!!

【衝撃】数学者、中国古文を元に邪馬台国の場所を特定!!!!!
配信元:アジア〇みえ情報
【今日は何の日:2月22】 …の装飾品やガラス製管玉などが出土したことから、「魏志倭人伝」に登場する邪馬台国ではないかと話題になる。「吉野ケ里フィーバー」が巻き起こり、約2カ月で見… (出典:) |
この項目には、一部のコンピュータや閲覧ソフトで表示できない文字(JIS X 0212、JIS X 0213)が含まれています(詳細)。 邪馬台国
邪󠄂馬臺國 邪馬台国(やまたいこく/やまとこく、旧字体:邪󠄂馬臺國)は、『三国志』魏志倭人伝に伝わる3世紀ごろの倭国内の国の一つ。倭の女王卑弥呼が都としていたことで知られている。…
57キロバイト (9,995 語) – 2025年2月13日 (木) 10:32
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特に、数学者の半沢氏による解析は、歴史的な謎を科学の視点から解明する試みとして非常に興味深いです。
甘木を邪馬台国の位置として捉える新しい視点は、さらなる研究の促進につながるのではないかと思います。
1 ごまカンパチ ★ :2025/02/21(金) 20:02:36.67 ID:t8o6HOJl9.net
公益社団法人甘木朝倉法人会(福岡県朝倉市)は16日、金沢大元准教授の半沢英一氏を講師に、
中国古代数理科学の視点から魏志倭人伝に書かれた邪馬台国の所在地についての講演会を朝倉地域生涯学習センター(同市)で開いた。
邪馬台国が甘木にあったとする説に来場者120人が耳を傾けた。
数学者で専門は解析学の半沢氏は
「魏が邪馬台国に使者を派遣したとされる西暦240年代は、約430メートルだった1里が、度量衡変更で約80メートルに短縮されていた」と主張。
「倭人伝に書かれている方向や距離、対馬や壱岐の大きさも現実とほぼ符合し、非常に厳密に記述されていることが分かる」と評価した。
使者一行には古代中国数理科学書である「周髀算経(しゅうひさんけい)」や「九章算術」に精通した学者が同行し、正確な測量をしていた可能性にも言及した。
本土上陸地点は通説の唐津市(佐賀県)付近ではなく、博多湾沿岸と比定。
「そこから記述通りに行けば、邪馬台国は甘木中心部(朝倉市)になる」と結論づけた。
半沢氏は「距離は空想だとか、方向を間違ったなどとして結論を導き出す従来の手法よりも自然だと思う」と話した。
平塚川添遺跡のとこか
珍しい多重環濠があるし、高貴な人の住まいだったのは間違いなさそうだけど
水行十日陸行一月は無視かよw
そもそも甘木なんて糸島から20キロくらいしか離れてない
普通に九州なら縦断してしまうわなぁ
短里説でググれ
どこか掘れそうなところあれば
掘ってくれ
そもそもそれを記録してる役人は地理になんか興味なく朝廷の事績を簡潔に〇〇年にこういうことがあったと年代記風に記録していくのが仕事
それを後代に史書まとめた人にとってもその頃はもうとっくの昔に存在してなかったであろう邪馬台国なる国がどこにあったかなんて*ほどどうでもいいはず
どっかに邪馬台国なる国があってそこに使節が訪れたところまでは割と信用できるだろうけどあとは与太話だろう
魏志倭人伝を書いたのは晋の役人
晋の皇帝に忖度して、皇室の祖である司馬懿に関わる邪馬台国を大きくて豊かな国だと褒め称えているだけだと思う
日本人=朝鮮民族の子孫が作った国
なのは確か
94の書き込みを間違えた。
日本=朝鮮民族の子孫が作った国
なのは確か
金印見つかるまでは
どうせ結論なんてでない
( °∀°)ホントに占いに頼ってたら今の南朝鮮みたいに唐突に国会にグンを突入させたり国政がメッチャクチャになるわけで、
( °∀°)皆に言うコトをきかせるために神の名を使ってた卑弥呼は卓越した政治家なんだよ?
( °∀°)つ酒
(/◎\)グビビー
ならんよ
邪馬台国=マザーサン(卑弥呼)が教祖のカルト教団のコミューンみたいなものだから善政がどうかはわからんが鉄の統制で普通に回る
国が元からあってそこに怪しい占い師が突然現れたのではなく統〇教会やオ〇ム真理教がそのまま教祖を君主、信者を国民とする国になったようなもの
まあ当時の海岸線は今と違うから、それくらい奥でも不思議はないかも。
読めないw
邪馬台国は周辺部族の狗奴国とかと対抗する為に魏国の属国に成ったんだよ
古代中国において「王」ってのは「皇帝」の1つ下の暗いで
今の日本で言えば皇帝が総理大臣だとすると王は県知事
現に中国では皇帝の下に楚王や燕王が居た
つまり邪馬台国が魏の皇帝が貰った親魏倭王の金印は、魏の皇帝から倭の王に任命された証で
皇帝の持つ玉璽のように公文書に推す王の認印
筑後平野北部において仲哀天皇を討ち取った熊襲・羽白熊鷲・夏羽・田油津媛の連合軍
九州の朝倉市の甘木に邪馬台国があった説
という話だよなこれ
奴国と伊都国の国境はそれで確定するんかな?
邪馬台国時代に最も栄えた国際貿易港は藤崎西新町遺跡
ここは奴国ではなく伊都国じゃないかと思ったけど
伊都国と奴国の境は下山門あたりじゃあねえの?
ちょうど山が関所みたいになってるし
その図だと日向山が国境になってんね
そこは伊都国の聖地
もしかしたら奴国にとっても聖地だったのかもしれんけど
奴国か伊都国か
どちらか示されるものが出土するのを待つしかないかw
正確には肥前と肥後の元になる肥国の巫女さんだ。
まるで奈良がコピーされた都みたいになってる
北側の大宰府政庁付近には都市を思わせる痕跡があるが
南の方には痕跡が少ない。
太宰府で失敗してリベンジしたのが
藤原京あたりではなかろうか?
それだけでも邪馬台国は九州にあったと言える
筑後山門(やまと)の近くにある土蜘蛛塚
地元では女王塚と伝わるんだよね
ヤマト政権にとっては土蜘蛛でも、そこに住んでいた人にとっては女王だったんじゃと思えてならない
魏が金印を授けたのは東夷の倭国と西域の大月氏の二カ国のみ
司馬懿のライバル曹真が
万七千里の西域の彼方から10万戸の大月氏国を連れてきて金印を授けた
その10年後今度は司馬懿が
東夷の万七千里の世界の果てから15万戸の倭国を連れてきて金印を授けた
こんなもん完全に司馬懿のプロパガンダに利用されてますがな
一大卒と大宰帥が被るし、福岡平野と筑紫平野の境界に近い重要な土地
魏志倭人伝に東南陸行五百里とあるから海沿いではないし
邪馬台国=黄巾党版ネオジオンみたいなものと考えたら魏としては討伐は遠すぎて無理だから最優先で懐柔しておかないとまずいと考えるのは自然
最盛期の太平道の信者はこんなに広がっていたからな(沿岸部も勢力圏になってるから東方の仙人が住む島とされていた日本にも拠点があっても、残党がそこに逃れてもなんの不思議もない)
途中から日数になっているのは半島との往来がなく張政の報告書頼りで
しかしそれは旅程を記したものだから実際の距離をは合わないんだろう
現代の町村合併でも、北九州の糸島の隣が奈良県なんてあるわけね〜んだわw
皇帝からの戴き物を伊都国で開封してリストと相違がないか確認して卑弥呼の元に届けてるからね
あんな長旅をする訳がない
あの辺が中国大陸との重要な中継拠点だったのは間違いないと思うよ
平原遺跡は八咫鏡もだけど
中央アジアのものと一致する青いガラス玉とか
後漢の貴族が身につけていたガラス耳とうなどのアクセサリーとか
この辺りももっと注目されていいと思うわ
中国は戦国時代で、倭国がこんな近くにあるよ
なんて書いたら、国民が脱走して倭国へ逃亡するから、わざと遠くに書いたって説もある。
当時の中華思想だと
朝貢してきた国が遠くにあればあるほど、広ければ広いほど、人口が多く豊かで文化的であるほど
皇帝の徳が高いとされていた
だから他の国のことはボロクソに見下してんのに、邪馬台国だけはベタ褒め
誇張表現があると思ったほうがいい
狭い地方の一部族
共立しただけの国だからしょぼいよ
狗奴国ひとつに苦戦するし、卑弥呼が亡くなっただけで崩壊の危機
魏の後ろ盾のおかげで壹与が即位して保てただけ
魏が滅んで晋からの後ろ盾がなければ、さっさと内部崩壊するだろうし
その末裔はどこかの強い国に「土蜘蛛」として滅ぼされてると思うわ
短里説がそもそも短い距離を、長いように錯覚させるものだから
当然小さな範囲の事を指すんだぜ
短里で12000里って、帯方郡から奄美大島あたりまでしがない
倭国に上陸してから、水行10日や陸行1月も移動できない
昔は大きく四つの勢力があった
そして魏志倭人伝に書かれている大国と思われる国は
奴国、投馬国、邪馬台国、狗奴国の四つ
さらに九州の大きな平野は
福岡平野、筑紫平野、熊本平野、宮崎平野