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【川口】20年で見た日本の学校と難民の現実

【川口】20年で見た日本の学校と難民の現実

配信元:ゆるゆるプレイス

「日本の学校にはプールもパソコンもある」難民申請5回で20年在留…あるクルド人男性が「日本での暮らし」をあきらめない理由
…〈難民申請5回で20年在留する人物も…埼玉県川口市に「クルド人が激増した」歴史背景〉 から続く 「政治家に会ったり、ボランティア活動も10年以上やっ…
(出典:)
在日クルド人(ざいにちクルドじん、クルド語: Kurdên Japonyayê)は、日本に居住または滞在するクルド人クルド人は固有の風習や文化、歴史、独自の言語を持つ推定3000万人ほどの人口の民族だが、これまでの歴史で独立した民族国家を形成したことがなく、主に中東・南コーカサスのトルコ南東部、…
154キロバイト (22,091 語) – 2025年2月25日 (火) 11:09

(出典 ドキュメンタリー映画『東京クルド』公式サイト|日向史有監督作品)
この記事は、長年日本に在留しているクルド人男性の体験を通じて、日本の社会に対する難民支援の必要性を提起しています。彼の告白からは、困難な状況にいる人々がいかにして新たな生活を築こうと努力しているのかが伝わってきます。私たちも、彼らの苦悩を理解し、できる限りの支援を行っていくことが求められています。

1 七波羅探題 ★ :2025/02/28(金) 16:07:34.97 ID:s1y5m1L39

文春2/28
https://bunshun.jp/articles/-/77080
「日本の学校にはプールもパソコンもある」難民申請5回で20年在留…あるクルド人男性が「日本での暮らし」をあきらめない理由

「難民申請5回で20年在留」クルド人男性のBさん
彼の事務所は、川口市北東部、埼玉高速鉄道線の戸塚安行駅から10分ほど歩いた場所にあった。住宅地、畑、林が混在する地域で、大きな看板を掲げる事務所は遠くからでも分かった。周りのヤード(資材置き場)も所有しているという。

まず、彼の会社の概要について聞くと、「雇っているのは20人位。日本人6人。あとキューバ、ブラジル、パキスタン、ウズベキスタン人。在留特別許可の人、普通のビザ(この場合は在留資格の意味)の人といろいろ。仮放免の人はアルバイトの形にして、ずっとは雇わない。彼らが自分の生活費を稼ぐくらいは、入管も見逃している」

現在30歳代初めの彼が、日本に来た経緯は、「最初に日本に来たのは2002年3月か4月。6月か8月にいったん帰り、母、兄と、2004年9月11日に一緒に来た。兄はトルコで4か月間逮捕された。それで2回目の日本入国の時は、兄は偽造パスポートで日本に入ってきた」とのことだった。

その後、家族一緒に難民申請を繰り返し4回不認定となり、5回目を行っていた。また、この間、裁判所に難民不認定処分取消訴訟を起こし、最高裁まで争ったが敗訴している。彼は退去強制令書を発付されながら日本に残留している「送還忌避者」の一人である。

「私は株主になっているだけで、解体業の会社は奥さん名義でやっている。難民申請は5回目を出したきり、入管からはインタビューにも呼ばれていない。結婚して9年たつが、妻とは日本で知り合った。妻が14歳、僕が17歳の時。妻はオヤジが日本人の日系ブラジル人。子供は娘10歳、7歳、息子4歳がいて、僕以外は定住者の在留資格がある」

2023年2月6日に起きた、ガズィアンテップ市北西を震源地とする地震の話題になった。彼はいかに被災者救援に尽力したか、熱を込めて語った。

「お父さんはすでに帰国して地元にいる。地震が起きてすぐに僕に電話してきた。国に早く帰りたい人をトルコ大使館とやり取りして、ここで真夜中、午前0時、1時まで、(航空)チケットを手配して準備していた。最初地震が起きたときは帰る人が多かった」

「政治家に会ったり、ボランティア活動も10年以上やっているし、(日本社会からも)評価されているんじゃないか。感謝状とかもらっているし(事務所の壁には新型コロナ対策に協力したとして、奥ノ木信夫・川口市長からの感謝状が飾られていた)。知事も、最初会ったときクルド語で話してびっくりしたよ(大野元裕・埼玉県知事と一緒に撮った写真も飾られていた)」

Bさんは私に、資料が挟まった分厚いファイルを手渡した。在留特別許可を求め法相あてに出した資料だ。日本人の知人から寄せられた嘆願書50枚、地震の際のボランティア活動の写真、家族の写真、妻子の住民票、子供の出生証明書などが束ねられている。

そこまでして、なぜ、日本にいたいのか。

「トルコの学校は学校じゃない。日本の学校には、プール、パソコンあるし。僕は川口市の小学校に通学し、当時外国人は一人だったが特別の先生がいた。それと軍隊に行っていないからトルコに帰ったら軍に呼ばれる。日本まで徴兵を知らせる手紙が来る」

インタビュー当時、難民申請の回数を制限する入管法改正が議論されていたが、「改正入管法は、成立してもいいと思っている。長く日本にいるとわかってくるのだが、3回くらい難民申請すると10年くらいいられるわけ。日本みたいに平和な国に住んで10年で成功できていない人間であれば、逆にどうかな、と思う。10年いればある程度の立場に立つ。自分を保証してくれる人が絶対いるわけ」一方、すでに一定期間在留している人間には配慮が必要だと言う。

「20、30年いた人間に対しては、在留特別許可を出してもいいんじゃないか。今日本にいるクルド人をもっと大切にし、クルド人の子供が日本で育ったことを(日本政府は)受け入れるべき。僕が難民認定されないのはわかっている。不可能なことをずっとお願いしてもだめじゃないですか。会社はこれだけ大きくなったし、無事に続けられればいいかなと思っている」

※以下出典先にて

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Posted by WEBスターアンテナ